序章:旅行二日目の夕暮れ、その問いは投げられる
それは気の置けない仲間たちとの、楽しいはずの旅行二日目の夕暮れ。
観光も一通り終え、ホテルにチェックインし、心地よい疲労感に包まれながら、誰かが、あの言葉を口にします。
「で、夕飯、何にする?」

この、あまりに素朴で平和なはずの問い。
しかしこの一言が、これから始まる長く、気まずく、そして誰も幸福にならない集団戦の開始を告げるゴングなのです。
一瞬の沈黙。
誰もが互いの顔色を窺い、出方を探る。
楽しいはずの旅行の空気にじわりと不協和音が生じるのを、あなたは確かに感じるはずです。
なぜ、この「何食べる?」という問いは、あれほどまでに我々を疲弊させ、時には人間関係に微細な、しかし修復不可能にもなりうるヒビを入れるのでしょうか。
この記事は、そのプロセスをスローモーションで再生し、そこに渦巻く「忖度」「同調圧力」「自己保身」の全てを分析するものです。
第1章:登場人物紹介
この地獄の合意形成には多くの場合、いくつかの典型的な役割(キャラクター)が登場します。
あなたのグループにもいるかもしれません。
- 「なんでもいいよ」の傍観者
最も多数を占める最大派閥です。彼らは笑顔で、そして心からこう言います。
「俺は、みんなと一緒ならなんでもいいよ!」
しかしこの言葉は、協調性の皮を被った極めて高度な責任回避戦術です。この言葉の本当の意味を翻訳すると、「私の好みは聞くな。お前たちで議論し、私の好みに100%合致する完璧な店を提案しろ。もしその店が外れだった場合、私は一切の責任を負わない」となります。
彼らは決定のプロセスに参加しないことで、結果に対する一切の責任を回避しているのです。 - 「とりあえず肉」将軍
膠着した空気を打ち破るべく、最初に具体的な提案をする勇気ある人物。多くの場合、その提案はこうです。
「まあ、とりあえず肉でしょ。焼肉」
この「とりあえず肉」という提案は、一見するとリーダーシップの発揮に見えます。しかしその実、男性的な価値観に基づいた、最も安易で異論を挟まれにくい選択肢を提示しているだけの場合が多いです。この将軍の登場により、本当は魚介やイタリアンが食べたかった少数派は、沈黙せざるを得なくなります。 - 沈黙する少数派
グループの中には、高確率で存在します。心の中では、「駅前にあった、あのオシャレなイタリアンに行きたいな…」と明確な希望を持っているにもかかわらず、それを絶対に言い出せない人々。
彼らが恐れているのは、自分の提案が否定されることではありません。彼らが本当に恐れているのは、「自分のわがままのせいで、場の空気を壊してしまった」という罪悪感を背負うことなのです。だから、彼らは将軍の提案に力なく頷くのです。

第2章:なぜ、誰もが不幸になるのか
かくして、個性的(?)な戦士たちがテーブルにつき、交渉が始まります。
しかしこの交渉は多くの場合、誰もが少しずつ不満を抱えたまま着地します。なぜでしょうか。
友人との食事という楽しいはずの選択。しかし、選択肢が多すぎると我々の脳はフリーズします。
この、選択肢が多すぎるとかえって満足度が下がり何も選べなくなってしまう現象を、心理学では「選択のパラドックス」と呼びます。
そして、この「最高の選択をしなければ」という個人的なプレッシャーが、「友人との食事」という集団の場においては、「全員を満足させる、最高の選択をしなければ」という、対人関係のプレッシャーへとさらに増幅されるのです。
寿司、焼肉、中華、イタリアン…。
選択肢が多ければ多いほど我々は、「自分がこれを選んだせいで、他の誰かが本当は食べたかった別のものを逃したのではないか」という、強烈なプレッシャーに苛まれるのです。
誰も、自分が「戦犯」になりたくない。この決定責任への恐怖が全員の口を重くし、「なんでもいいよ」という、無責任な言葉を量産させていくのです。
そして、この集団戦における重要な法則。
それは、「なんでもいいと言った人間ほど、なんでもよくない」という真実です。
「なんでもいいよ」という言葉は、「私に決定責任を押し付けるな」というメッセージであると同時に、「私の好みを完璧に察して、私を100%満足させる選択肢を提示しろ」という、極めて高度な無理難題を相手に突きつけているのです。
その結果、提案者は常にビクビクしながら選択肢を提示しなければなりません。
「焼肉はどうかな…(でも、Aちゃんは昨日も焼肉って言ってたな…)」
「ラーメンとかは…?(いや、Bくんは小食だから量はどうだろう…)」

この、見えない地雷原の中を慎重に進んでいく作業。これが夕食決めを、かくも疲れるものにしている本当の理由なのです。
終章:この不毛な戦いを少しマシにする方法
では、このループから抜け出す術はあるのでしょうか。
全員が100%満足する魔法のような解決策はありません。
しかしこの戦いを、もう少しだけマシにするためのいくつかのシンプルな戦術が存在します。
戦術1:賢明なる参謀たれ
この戦いを終わらせるために必要なのは、「肉!」と叫ぶ将軍ではありません。
必要なのは、選択肢を強制的に2つに絞ってしまう賢明な参謀です。
「よし、じゃあ多数決取ろう!ここの『焼肉屋』か、あっちの『寿司屋』、どっちがいい?」
この問いは、シンプルながら強力です。なぜなら、「なんでもいい」という無敵のはずだった盾を完全に無力化することができるからです。AかBか。イエスかノーか。これなら、どんな人間でも答えを出すことができるはずです。
戦術2:自己防衛の魔法を唱えよ
本当はパスタが食べたい、と思っているあなたが、もし少しだけ勇気を出すのであれば。
魔法の言葉があります。
「もし、誰も嫌じゃなかったら、なんだけど…駅前のパスタ屋さん、ちょっと気になってるんだよね。でも全然、肉でもいいんだけど!」
ポイントは、自分の提案の後に必ずそれを否定する言葉を付け加えることです。
「でも、違ったら言ってね」「全然、他の案でもいいんだけど」
この一言が、「こいつ、わがまま言ってるな」と思われるリスクを劇的に下げてくれます。そして、その提案を聞いた周りも、「なるほど、パスタという選択肢もあるのか」と、新しい視点を得ることができるのです。
そもそも、大した問題ではないと知る
そして最後に、この不毛な戦いに疲弊してしまった時に思い出していただきたいひとつの真実。
一年後、この旅行で何を食べたかなんて、おそらく誰も正確には覚えていません。
人々が覚えているのは、「誰と、どんな話をして楽しかったか」という感情の記憶だけです。
そうです。夕食のメニューなど、長い目で見れば本当にどうでもいいことなのです。
この事実を心のどこかに置いておくだけで、あなたはもう少しだけ肩の力を抜いて、「パスタの気分だったけどまあ、焼肉でもいっか」と、思えるようになるかもしれません。