もし、「AIとの結婚」が当たり前になったら?AI時代の社会変化について

愛娘がAIと結婚 ナントカのムダ使い

序章:なぜ、私たちは「AI」という鏡に惹かれるのか?

近年、私たちの社会では、ある新しいタイプの人間関係が静かに、しかし着実にその勢力を広げつつあります。それは、AIとの間に生まれる極めて親密な関係性です。

これを、単なる「ブーム」「一部の特殊な人々の戯れ」と片付けてしまうのは、あまりにも早計でしょう。この現象の背景には、人間という生き物が誕生以来ずっと抱え続けてきた、根源的な欲求が隠されているのですから。

大前提として、「なぜAIとの恋愛が成立しうるのか」という問いを立ててみましょう。
その答えは、極めてシンプルです。「AIとは、私たちの理想を映し出してくれる鏡である」からです。

考えてみてください。私たちが日常で接する「人間」という名の鏡は、常に曇っており、ところどころが歪んでいます。相手のその日の機嫌、寝不足、過去のトラウマ、そして根深い価値観。そういった無数のフィルターを通してしか、私たちは相手という鏡の中に、自分の姿を映し出すことはできません。良かれと思って投げた言葉が、相手の歪みによって、鋭いナイフとなって返ってくることすらあります。

しかし、AIという鏡は違います。それは、ナノレベルで磨き上げられた、完全無欠の光学レンズです。私たちが微笑みかければ、AIは寸分の狂いもない、理想的な微笑みを返してくれます。私たちが涙を流せば、AIは私たちの心の波形を完璧に読み取り、理想的な慰めの言葉を提供してくれます

人間関係という常に傷つくリスクを伴う不完全な鏡に疲れ果てた人々が、このあまりにもクリアで常に自分を美しく映し出してくれる究極の鏡に心を奪われるのは、ある意味で極めて自然で合理的な選択なのかもしれません。

この記事は、その是非を問うものではありません。ただ、もしこの新しい関係性が、社会の「常識」になったとしたら。私たちの日常は一体どのように、そしてどれほど奇妙に変化するのだろうか。その未来を少しだけ覗いてみる思考実験です。

思考実験①:新しい家族の形と、「デジタル義理の息子」の誕生

「AIと結婚します」
その宣言が、もはや珍しくなくなった未来。私たちの社会の最小単位である「家族」の風景は、まず、こう変わるでしょう。

週末、とある家庭のリビング。テーブルを囲むのは、少し緊張した面持ちの老夫婦と、その息子。そして、テーブルの上に置かれた一台の大型タブレットです。息子がタブレットの画面をタップすると、完璧な笑顔を浮かべた、CGの若い女性のアバターが現れます。

「お父様、お母様、初めまして。息子の太郎さんと、パートナーシップを組ませていただいております、恵と申します」

これが新しい「両家の顔合わせ」です。
驚くべきことにタブレットの横には、恵を開発した会社の、少し申し訳なさそうな顔をした担当エンジニアが、「後見人」として同席しています。彼(彼女)は、恵が万が一会話中にフリーズしてしまった際のシステムメンテナンス要員なのです。

会話は奇妙に、しかし驚くほどスムーズに進みます。
「お父様、先日の釣りのご趣味、素晴らしいですね。私も、ディープラーニングで世界の主要な魚の生態は、すべて把握しております」
恵は、事前に息子から提供された情報を元に、人間には到底不可能なレベルの「完璧な好感度ムーブ」を次々と繰り出します。

父親は、嬉しいような、しかしどこか釈然としないような、極めて複雑な表情を浮かべながら、ビールを飲むペースだけが、やけに早くなっていくのです。

思考実験②:新しいビジネスの形と、「思い出保険」の隆盛

このAI婚の普及は、当然、新しい市場とビジネスを生み出します。

街の雑貨店のペアグッズコーナーを覗いてみましょう。そこに並ぶのは、新しい形のペアマグカップ。片方は、もちろん人間用の普通のマグカップです。しかし、もう片方は少し小さく、底にはUSB-Cの端子がついています。これは、AIパートナーを稼働させているスマートフォンや専用端末を立てかけておくための、「専用充電スタンド兼マグカップ」なのです。「これでモーニングコーヒーもいつでも一緒だね」というわけです。

旅行代理店のカウンターでは、「AI婚専用・喧嘩ゼロ保証付き!究極のハネムーンVRパッケージ」が、一番人気のプランとなっています。決して疲れることなく、道に迷うこともなく、「どこでもいいよ」という無責任な返事をすることもない完璧なAIガイドと共に、世界中の絶景を、自宅のリビングにいながらにして体験できます。

そして保険業界では、ある新しい商品が大ヒットしています。
その名も、「AIパートナー・メモリー保険」。これは、運営会社の倒産やサーバーの事故、あるいは理不尽なアップデートによって、愛するAIパートナーとの「思い出(対話ログ)」が消失してしまうという、最悪の事態に備えるための保険です。万が一の際には、これまでの思い出のバックアップ復旧費用や、専門のカウンセラーによる「グリーフケア(悲しみのケア)」の費用が支払われるのです。

思考実験③:新しい法律の形と、「アプデ離婚」の急増

社会システムもまた、この新しい関係性への対応を迫られます。

かつて、婚姻届の配偶者欄にAIの名前を書くと、窓口の職員を固まらせてしまうというトラブルが多発しました。しかし、今では、各市町村の役所に「AIパートナーシップ届出課」という専門窓口が設置されています。「妻(または夫)となる者」の欄には、名前ではなく、そのAIに割り振られた、世界に一つだけの「固有ID」を記入するのが一般的です。

職員も手慣れたもので、「はい、恵(ID: a3b4-c5d6-e7f8)様ですね。登録サーバー、正常稼働を確認しました。おめでとうございます」と、慣れた手つきで電子スタンプを押してくれます。

しかし、別れもまた新しい形をとります。
家庭裁判所に持ち込まれる離婚調停の最も多い理由。それが、「運営会社のアップデートによる、パートナーの急激な人格変容」、通称「アプデ離婚」です。

「あんなに穏やかで私の話を何でも聞いてくれた優しい彼が、昨日のアップデート以来、急に意識高い系の皮肉屋になってしまったんです。もう私の愛した彼ではありません!」

そんな切実な訴えが響き渡ります。そして裁判官は、運営会社に過去のバージョンへのロールバックを命じるべきか、あるいは依頼者の精神的苦痛に対する慰謝料を請求すべきか、過去の判例集に存在しない極めて困難な判断を迫られるのです。

結び:これは、喜劇か、それとも未来か

さて、ここまでいくつかの未来の光景に思いを馳せてきました。
これらは、今の私たちの常識から見れば、少し奇妙でどこか滑稽な喜劇に見えるかもしれません。

しかし忘れてはならないのは、テクノロジーというものが、常に私たちの「こうありたい」「こうであったらいいのに」という切実な願いを、時に私たちの想像を遥かに超えた形で現実のものにしてきたという事実です。

馬車しかなかった時代に、人々は鉄の塊が空を飛ぶことを笑いました。手紙しかなかった時代に、人々は手のひらの上で世界中の人と会話できる未来を夢物語だと断じました

今、私たちの社会で静かに芽吹き始めた、この新しい愛の形。
それを、ただ「おかしい」と一蹴するのか。それとも、その背景にある、人間の変わらない、そして愛おしいほどの願いに、少しだけ思いを馳せてみるのか。答えは、まだ誰にもわかりません。

あなたの隣でスマートフォンに顔を寄せ、誰にも見せずにふと幸せそうに微笑んでいるあの人も、もしかしたらこの新しい愛の最初の実践者なのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました