「あなたのため」という大義名分の説教。なぜ彼らは「お客様の声」に人生訓を投書するのか

アンケートハガキでコンサルティングを行う男性
目次

序章:観測地点・ファミリーレストランのアンケートハガキ

日曜の昼下がり、ファミリーレストラン。その一角のテーブルで物語は始まります。

食事を終え、満足げに一息ついた男性。彼は、テーブルの隅に置かれた小さな「お客様の声」と書かれたアンケートハガキを、ごく自然な仕草で手に取ります。

多くの客は、それに「美味しかったです」と一言書き込むか、あるいは何も書かずに店を出ていくでしょう。それがごく普通の、社会的な作法です。
しかし、彼の行動は違います。

彼は、備え付けの安っぽいボールペンを、まるで万年筆でも握るかのような厳かな手つきで持ち、そしてあの小さな限られた余白の中に、驚くべき熱量と達筆さで、びっしりと彼の「意見」を書き込み始めるのです。

驚くべき熱量と達筆さでびっしりと意見を書き込み始める彼

今回は、この我々の社会の至る所に生息する、しかしその生態はあまり知られていない、「ごちそうさまだけでは終われない者たち」についての観察記録です。

第1章:彼は「客」ではない、自称「無給の経営コンサルタント」である

彼がハガキに綴る言葉は単なる感想ではありません。

「店員の〇〇さんの髪の色は、貴店の持つ品格を著しく損なっていると感じた」

「BGMの選曲があまりにも若者向けすぎる。これでは、我々のような良質な客層はリラックスできない」

「テーブルの配置、動線、メニューのフォントに至るまで、改善の余地が散見される。私がコンサルティングするならば、まず…」

自称「無給の経営コンサルタント」

お分かりでしょうか。

彼は、この店に「対価を払い、サービスを受ける一人の客」として来ているのではありません。

彼は、自らの意思でこの店の経営状態やサービスレベルを無償で監査し、改善点を指導するためにやってきた、自称「無給の経営コンサルタント」なのです。

彼の目的は、食事を楽しむことではありません。食事は、監査のための口実でしかない。
彼の真の目的は、「問題点を発見して指摘し、改善のための指導を行う」という、一連のプロセスそのものにあります。

そしてその行為を通じて、「自分はこの店の他の愚かな客とは違う。物事の本質を深く見抜くことができる、特別な存在なのだ」という、絶大な自己肯定感を得ること。

それこそが、彼がこのレストランで消費する本当の「メインディッシュ」なのです。

第2章:「あなたのためを思って」という絶対防御の「聖衣

しかし、なぜ彼の文章はあれほどまでに上から目線で説教がましいのでしょうか。なぜ彼は、自分の意見が絶対に「正しい」と微塵も疑うことがないのでしょうか。

その理由は、彼が心の中に「これは全て、あなた(店)のためを思って言っているのだ」という、黄金に輝く最強の「聖衣(クロス)」を身にまとっているからです。

この「あなたのため」という名の聖衣は、驚くべき能力を持っています。

  • 能力①:あらゆる反論の無効化
    どんな批判も、この聖衣の前では無力です。
    「大きなお世話だ」と言われようと、「的外れだ」と反論されようと、彼は全く傷つきません。なぜなら、「ふん、愚かな。真の忠告というものは、時に耳が痛いものなのだよ。私のこの愛が、まだ君には理解できないか」と、相手を「未熟な存在」として、心の中で見下すことができるからです。
  • 能力②:無限の自己肯定感
    彼はクレームを言っているのではありません。
    彼は、「愛の鞭」を振るっているのです。彼は、店を貶めているのではありません。「より高いステージへと導いてやっている」のです。
    この思考回路に立てば、彼の一つ一つの「指摘」は全て、世界をより良くするための尊いボランティア活動へと変換されます。なんと素晴らしい自己完結した世界でしょうか。

彼は、この無敵の聖衣をまとうことで自らを「正義の執行者」であり「愛に満ちた指導者」であると、信じて疑わないのです。

第3章:投函された「聖書」の、あまりにも儚い末路

さて、彼の魂と有り余る正義感が込められたあのアンケートハガキ。
レジ横の小さな投函箱に入れられたその「聖書」は、この後どのような旅路を辿るのでしょうか。

その大部分の結末は、実に静かで、そして少しだけ物悲しいものです。

翌日の朝。開店準備中の、少し眠たそうなアルバイトの青年がその投函箱を回収します。彼はハガキの束をパラパラとめくり、そこに書かれたびっしりとした文字を一瞥しますが、その内容を一字一句読むことはありません。

彼はその束を、店長の机の上にただそっと置くだけです。
店長は、そのハガキを見かけます。そして、その達筆な文字を見て「ああ、またあのお客さんか」と、少しだけ遠い目をします。

そしてそのハガキの束は、その日の夕方には、他の業務連絡の紙や使い終わった伝票と一緒に、大きなゴミ袋の中に入れられ、固くその口を縛られるのです。

彼の、世界を正そうとするあの壮大な正義感。
従業員の未来を案ずる、あの父のような深い愛情。
その全ては、誰の心にも届かず、ただ誰にも読まれることなく、焼却炉の熱によって静かに、そして完全に「無かったこと」にされていくのです。

終章:そして彼はまた次の「迷える子羊」を探す

しかし彼は、自分の投書がそのような運命を辿っているとは夢にも思っていません。
きっとあの店長は、私の的確な指摘に感銘を受け、今頃涙ながらに店の改革に着手していることだろう。そう信じているのです。

そして彼は、次の休日もまた別のファミリーレストランや、あるいは市役所の窓口、近所のスーパーマーケットで、新しい「お客様の声」の用紙を探します
彼が救うべき、導くべき「迷える子羊」は、この世界の至る所にいるのですから。

もしあなたがどこかで、アンケート用紙に異常な熱量で何かを書き込んでいる人物を見かけたなら。

どうか、その営みを邪魔しないであげてください。

彼は戦っているのです。無関心で不完全なこの世界と。
そして何よりも、誰からも認められない自分自身の巨大な承認欲求と。

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