こぶとりじいさんに学ぶ、 なぜか評価される人がやっている「鬼を味方にする」技術

こぶとりじいさん 幸福論

評価されない真面目なあなたへ

学校の教室、会社の会議室。あるいは、気の置けない友人とのサークル活動においてすら、私たちはある種の不条理を常に感じています。

テストの点数や営業成績といった明確な指標があります。それとは全く別の次元で、その場の空気を支配し、なぜか周囲から一目置かれている人物が存在します。

彼らは必ずしも声が大きいわけではありません。
驚くほど社交的というわけでもないのです。

しかし、彼らの発言はなぜか尊重され、彼らの存在は当たり前のように許容されます。一方で、あなたはどうでしょうか。

誰よりも真面目に課題に取り組み、言われたことは完璧にこなし、決して手を抜いていない。

それなのに、なぜか評価されない。

それどころか、コミュニティの中でうっすらとした居場所のなさを感じ、まるで自分が透明人間になったかのような感覚に陥る。

孤立する人物

この差は、一体どこから生まれるのでしょうか。

「あいつは要領がいいから」
「結局、性格が明るいヤツが得をするんだ」

そう結論づけて諦めてしまうのは簡単です。ですが、それは本質から目をそらす行為に他なりません。

その答えは、私たちが幼い頃に聞かされたあの物語の中に、残酷なまでに明確に描かれているのです。

この記事は、あなたの「真面目さ」を否定するものではありません。むしろ、その素晴らしい才能を正しく機能させるための、いわば「取扱説明書」です。

童話「こぶとりじいさん」を掘り下げ、現代社会を生き抜くための知恵を手に入れましょう。


答えは「こぶとりじいさん」の中にあります

「なんだ、結局は道徳の話か」
「人を羨むな、正直に生きろ、ってやつでしょ?」

そう思ったなら、あなたは二人目のおじいさんと同じ過ちを犯す一歩手前にいます。

本記事では、この童話を現代社会を生き抜くための寓話として大胆に再解釈し、その核心に迫ります。

あらゆるコミュニティ……学校、職場、果ては家庭に至るまで、その全てに通底する、極めて冷徹な「価値提供の原則」を解き明かすための、普遍的な寓話なのです。

本記事では、登場する二人の老人を「陽気」「内気」といった性格で分類することはせず、彼らの「行動原理」にのみ焦点を当て、あなたが明日から使える具体的な思考法を導き出します。


ケースA:なぜ、最初のおじいさんは鬼に熱狂的に歓迎されたのか?

一人目の、こぶのあるおじいさん。

彼は、鬼たちの宴会という、常識的に考えれば生命の危機に直結するコミュニティに迷い込んでしまいました。

ここで重要なのは、彼が「鬼にウケる踊りをしよう」と計算したのではなく、楽しげな雰囲気にただ夢中になって自分の踊りを披露した点です。

多くの伝承において、彼は特に何かを狙うこともなく、鬼たちが楽しそうだったので自分もただ夢中になってアドリブで踊り始めます。

鬼の前で踊るおじいさん

彼の目的は、当初「鬼を喜ばせること」ではありませんでした。

しかし、その結果はどうでしょう。

彼のなりふり構わぬ魂のこもったパフォーマンスが、結果として鬼たちに「なんかコイツ、めちゃくちゃ面白いな!」という、予期せぬ価値(エンターテインメント)を提供したのです。

鬼たちの反応を見てみましょう。

「なんだこのジイさん!動きのキレがヤバい!」
「見たことないタイプの踊りだ!神!」
「おい、この踊り、明日も見たいぞ!そうだ、明日も来させるために、あのこぶを担保として預かっておこう!

彼らは、おじいさんの踊りを一度きりのものにするには惜しいと感じ、再会の約束の印として、彼の最大の悩みであったこぶを預かることにしたのです。

おじいさんは、意図せずしてコミュニティに貢献する「Giver(与える人)」となり、その結果として、鬼というコミュニティから「再演を熱望されるほどの承認」と「悩みの解決というリターン」を得ることに成功したのです。

彼の成功の本質は、明るい性格だけではありません。
結果的に、他者の利益に貢献した。これが要因なのです。


ケースB:なぜ、二人目のおじいさんはこぶを2倍にされたのか?

さて、問題は二人目のおじいさんです。彼は、隣人から成功体験を聞きつけます。

「なるほど、鬼の前で踊ればこぶを取ってもらえるのか。これはコスパがいい」

彼はそう考え、意気揚々と鬼の宴会に乗り込みます。

彼の致命的な失敗の原因。それは、彼が人見知りだったからでも、ダンスの才能がなかったからでもありません。

彼の行動原理が、入場から退場まで、終始一貫して「自分の利益(こぶを取ってもらう)」のみに向けられていた点にあります。

彼の頭の中は、こんな思考で埋め尽くされていました。

「どうすれば、最短でこぶを取ってもらえるだろうか?」
「どの踊りが、一番ウケるだろうか?」
「あのジジイはこれで成功したんだから、オレもイケるはずだ」

こぶを取ってほしいおじいさん

「鬼たちが楽しそうだからオレも一緒に楽しもう」という発想が、完全に欠落しているのです。

その「くれ、くれ」という精神(テイカー根性)は、彼の踊りからキレを奪いました。

彼は、一人目のおじいさんの成功の、表面的な手段(踊り)だけを雑に模倣しました。
こぶを取ってもらったおじいさんの踊りに宿っていた「魂」が、そこには完全に欠落していたのです。

魂のこもらない、下心に満ちたパフォーマンス。それは、楽しい宴会の空気を、一瞬で凍りつかせます。

例えるなら、盛り上がっているカラオケで、誰も知らない演歌をフルコーラスで熱唱し始める上司のようなものです。

鬼たちが感じた、あの強烈な嫌悪感。それは、彼の内向的な性格に対してではありません。

「我々を利用し、自分の利益だけを奪い取ろうとしている」という、彼の本質に向けられた生理的な拒絶反応なのです。

そして、鬼たちは彼にもう一つのこぶを付けました。

「あなたは、我々に何の価値も提供しなかっただけでなく、貴重な我々の時間を奪い、不快感というマイナスの価値を与えた。よって、ペナルティ(こぶ)を与え、コミュニティから追放する」

これは、単なる意地悪やパワハラではありません。
コミュニティからの明確な拒絶のメッセージなのです。


「奪う人」が自動的に嫌われるメカニズム

この鬼たちの反応は、決して突飛なものではありません。

私たちは人間関係において、無意識に「与えるもの」と「受け取るもの」のバランスを考える傾向があります。

このような人間関係の捉え方は、心理学の世界の「社会的交換理論」という考え方にも通じます。

難しく考える必要はありません。要するに、私たちは人間関係を一種の取引として捉えているのです。

  • 相手から受け取るもの(報酬)
    楽しさ、安心感、有益な情報、手助けなど
  • 相手に与えるもの(コスト)
    時間、労力、感情的なサポート、お金など

この報酬がコストを上回ると感じるとき、私たちはその関係を「良い関係だ」と判断し、大事にして維持しようとします。

一人目のおじいさんは、鬼たちに「面白い踊り」という圧倒的な報酬を提供しました。鬼たちにとって、その関係は非常に有益でした。だから彼らは「明日もその踊りを見たい」と考え、再訪を約束させるための担保として彼の「こぶ」を預かったのです。

こぶを取られたおじいさん

しかし、二人目のおじさんはどうでしょう。

彼は「面白い踊り」という報酬を提供するフリをして、実際には「つまらない時間」と「不快感」というコストを鬼たちに支払わせました。

その上で、「こぶを取ってくれ」という一方的な報酬だけを要求したのです。

これは、取引として成立していません。鬼(コミュニティ)が彼を拒絶し、罰を与えたのは、ごく自然な防衛反応だったのです。


あなたの職場にいる「鬼」の正体

ここまで読んで、あなたも気づいているはずです。この物語に登場する「鬼」とは、一体誰のことなのか。

そうです。鬼とは、あなたが所属するあらゆるコミュニティの比喩です。

  • 会社の上司や同僚
  • 学校のクラスメイトや先生
  • 取引先の担当者
  • SNSのフォロワー

彼らは、あなたの個人的な事情や、あなたがどれだけ真面目に努力しているかということには、実のところ、ほとんど興味がありません。

彼らが見ているのは、たった一つ。

「この人は、自分たち(のコミュニティ)に、何をもたらしてくれるのか?」

この貢献度こそが、あなたの評価を決定する基準なのです。

一人目のおじいさん:結果的に「最高のエンタメ」という価値を提供した → だから承認され、結果的に悩みも解決した。
二人目のおじいさん:自分の利益だけを求め、価値の提供を怠った → だから拒絶され、罰を受けた。

この構造は、残酷なほどにシンプルです。

あなたが「真面目にやっているのに評価されない」と感じるのだとすれば、その真面目さが、残念ながらコミュニティが求める「価値」として扱われていない可能性が高いのです。


明日からできる「こぶとりじいさん」的・価値提供の始め方

「なるほど、理屈は分かった」
「でも、私には最初のおじいさんのように、面白い踊りなんて踊れない」
「無理に陽気な人間になれってこと?それは無理だ」

そう考えたあなたは「身の丈を知る」ことができている方です。

無理に面白い人間になろうとすることは、二人目のおじいさんが犯した「表面的な模倣」という最悪の過ちを、繰り返すことにつながります。

私たちが本当に学ぶべきは、陽気なダンスではありません。
ただ一つの問いを、自らに投げかける習慣です。

「自分は、このコミュニティ(職場、クラス、チーム)に、どのような価値を提供できるだろうか?」

重要なのは、視点を「自分」から「相手・コミュニティ」へと、意識的に切り替えることです。

その答えは、決して派手なパフォーマンスである必要はありません。
いや、むしろ、派手である必要など全くないのです。

たとえば、

  • 自分の持っている知識で、仲間が困っている作業を手伝う。
  • 誰よりも真摯に丁寧に人の話を聞くことで、チームの心理的な安全性を高める。
  • 誰もが嫌がる議事録作成やデータ入力を文句ひとつ言わずにこなし組織を助ける。
  • 常に機嫌が安定しており、一緒にいるだけで周囲に安心感を与える。
  • 会議で膠着した空気を、誰もが感じていた違和感を代弁する様な疑問を投げかけることで打開する。

これら全てが、コミュニティにとってかけがえのない「価値」です。

一人目のおじいさんが「踊り」で鬼たちに貢献したように、あなたはあなただけの「踊り」を見つければいいのです。

それは、あなたの内側から自然に湧き出てくるものでなくてはなりません。
下心から始めたスキルは、必ず見抜かれます。

自分の利益を第一に考えるのではなく、「どうすれば、この場が少しでも良くなるだろうか?」「どうすれば、隣の席の人が少しでも楽になるだろうか?」という視点を持つこと。

この小さな意識の転換が、あなたの行動を根底から変え、周囲のあなたを見る目を変えていくのです。


もう、自分の「こぶ」を嘆くのはおしまいです

私たちは、誰もが自分の「こぶ」を抱えて生きています。

それは、弱みやコンプレックス、あるいは過去の失敗かもしれません。

しかし、「こぶとりじいさん」の物語が突きつける真実は、コミュニティはあなたの「こぶ」の有無など気にしていない、ということです。

彼らが見ているのは、あなたが何を提供してくれるか、ただそれだけです。

自分の「こぶ」を嘆き、評価されない不条理に憤り、「どうすれば自分の望みが叶うか」と考え続ける人生は、二人目のおじいさんの末路に通じています。

それは、コミュニティからさらなる「こぶ」を押し付けられる、孤独な道です。

視点を変えましょう。

あなたの「こぶ」を抱えたままで、大丈夫です。
その不器用なあなたのままで、コミュニティに提供できる価値は、必ず存在します。

その価値を見出し、ほんの少しの勇気をもって行動に移せたとき。

あなたの周りにいたはずの恐ろしい「鬼」たちが、実は、あなたの敵ではなかったことに気付くかもしれません。

そしてもし彼らが感謝の言葉をあなたに伝えてくれたのなら、それはあなたの長年の悩みだった「こぶ」が、静かに消えてなくなる瞬間なのかもしれません。

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