社会からの戦力外通告
事の発端は、就活を前にした学校のパソコン室でのことでした。
エントリーシートの「あなたの長所を教えてください」という、悪魔のような質問欄を前に、我々が1時間も固まっていた時のことです。
藁にもすがる思いで開いたのが、無料の適職診断でした。
まさかこれが、我々の人生に最終宣告を突きつけることになるとは思わずにそのリンクを開きました。
いくつかの当たり障りのない質問に、当たり障りなく答えていきます。
周りでは、サークルの活動的な人たちが「私、頼れるリーダータイプだって!」「俺は冷静沈着な分析家!」「わかる〜!」などと、社会的に健全であることが保証された市民権を授与され、楽しそうにしています。
その声をBGMに、我々は診断を進めました。
そこに浮かび上がった結果は、無慈悲な診断でした。
「あなたは芸術家タイプです」

時が止まります。
隣の席の人がこちらをチラリとのぞき込み、「へぇ、すごいじゃないですか(笑)」と、絶妙に気の抜けた声で言います。
その(笑)に含まれた「わ、なんだか面倒くさそうな人ですね」「きっと働けないんだろうな、この人」という真意を、我々は汲み取ってしまいます。
画面には「創造的、独自の視点を持つ、感性を活かす」といった、キラキラした賛辞の言葉が並んでいます。
ですが、我々の目にはこう翻訳されて映るのでした。
「協調性がなく、意味不明なこだわりが強く、ルールを守れない社会不適合者」
血の気が引いていきました。絵なんて描けません。美術部どころか、帰宅部でした。それなのに「芸術家」?
これは、社会という巨大な組織から突きつけられた、遠回しな戦力外通告に違いありませんでした。
「ああ、やはりそうだったのか」
子供の頃から感じていた、あの言葉にできない違和感の正体に気づかされてしまったのです。
素直に喜べない「芸術家タイプ」という呪い
「芸術家」
なんて心地が良くて、そしてふざけた響きなのでしょう。
世間ではこの言葉に、破天荒で自由で、才能にあふれた選ばれし者、といった幻を見ているようです。
ですが、宣告された我々当事者にとっては、それは祝福ではなく呪いでしかありません。
なぜなら我々は知っているからです。
「自由な精神」とは、飲み会という集団儀式に耐えられない社会性の欠如の言い換えで、「創造的」とは、3人以上になると黙り込むか、誰も求めていない意味不明な意見を口走ってしまうかの二択しかない不安定さのこと。
「強い信念」なんて、他人の意見を「いや、しかし…」と脊髄反射で否定してしまう頑固さの、少しだけ聞こえがいい呼び方に過ぎないのです。
「あなたには才能があります」という言葉は麻薬です。
ですが、我々を心地よくさせることはありません。
それは「あなたは何かを創造して生きていける」という励ましではなく、「あなたは普通の人間が行う普通の仕事には絶対に向いていません」という、社会からの太鼓判だからです。
この診断は、我々にピカソになれと言っているのではありません。
ただ、我々が「総合職」や「営業職」といった、まともな人間が名乗ることを許された称号を手にする資格がないという事実を、婉曲表現として冷酷に突きつけてくるだけです。
だから喜べるはずがないのです。
ただ、来る日も来る日も「まともな人間」を演じ続けなければならない、終わりのない舞台の幕が静かに上がったことを悟るだけです。
この呪いを抱えて、明日も説明会に行かなければならない。
この絶望を、一体誰が理解してくれるというのでしょうか。
芸術家気質の検証。心当たりしかない「あるある」
診断結果は、我々のこれまでの人生に散らばっていた「あるある」を、伏線を回収するかのように思い出させてくれます。
美しくコーティングされた「あなたの長所」を、我々の学生生活というフィルターを通して再翻訳してみたいと思います。
もし心当たりがおありでしたら、あなたも芸術家タイプかもしれません。
独創性 → 不参加の言い訳製造機
診断書には「独創的なアイデアで、周囲を驚かせます」とあります。
その才能は、学校のあまり気の進まない集まりや飲み会を断るための言い訳づくりで最大限に発揮されます。
「本日、実家で飼っているインコが産卵の兆候を見せておりまして…」など、相手が「あ、はい…」としか言えなくなるような、疑う気力すら削ぐ物語を我々は瞬時にひねり出し、誰の心も傷つけることなく、しかし二度と誘われないレベルで完璧に姿を消すための言い訳をクリエイトします。
「既成概念にとらわれない」も同じです。
「なぜ、就活生は全員スーツを着なければならないのですか?」といった、「みんな思ってても言わないんだよそういうのは…」と思われるような、触れてはいけない組織の根幹への素朴な疑問が、脳内に無限に湧き出てくるあの感じのことです。
探求心(どうでもいい事への異常なこだわり)
「あなたは物事の本質を探求します」。結構なことです。
ですがその情熱は、卒業研究や論文のテーマではなく、レポートのフォント選びや、インデントのわずかなズレ、図の配置の美しさに、病的なレベルで注ぎ込まれます。
そしてその行為を、「神は細部に宿る」という格言を引き合いに出すことによって正当化します。
メールの文末、「ご確認のほど、よろしくお願い申し上げます。」が、果たしてこの相手に適切なのかどうかで30分悩んでしまう。
誰からも評価されないその時間こそが、我々の探求心の悲しい行き着く先なのです。
自由な精神(グループワークにおける爆弾)
我々を最も苦しめるのがこれです。
「あなたはマイペースで、自分のリズムを大切にします」
その本質は、協調性が試される全ての場面で機能不全に陥る、致命的な不具合そのものです。
グループワークで「進捗どうですか?」と聞かれるのが怖くて問題を一人で抱え込み、提出直前に「ごめんなさい、やはり無理でした」と白状する羽目になります。
課題の締め切りを、時間の終わりではなく「ここからが本番」のスタートラインだと勘違いしている。
そして前日の深夜、驚異的な集中力で帳尻を合わせる。周りから見れば奇跡、我々にとってはいつもの地獄です。
これら全てが、我々がまぎれもなく「芸術家タイプ」であることを示す動かぬ証拠なのです。
凡庸なる名ばかり芸術家
ピカソになる才能も、絵を描く趣味すらもありません。
そんな我々がこの社会で生き抜く術はただ一つしかないのです。「擬態」です。
擬態①「意識高い系のフリ」という演技
我々は、役者になります。
クローゼットから唯一のスーツを取り出し、「やる気に満ちた学生」の仮面をつけ、インターンシップや説明会という舞台へ向かいます。
そこでは一日中、「御社のビジョンに深く共感いたしました」などという、心にもないポーズを取らなければなりません。
特にスキルが問われるのが、まったく興味のない企業のグループディスカッションです。
脳内で昨夜見たアニメの続きを反芻しながらも、顔だけは「なるほど、その視点はなかったです。ただ私が思うに…」などと、いかにも何かを考えている風を装います。
議論が盛り上がってきたタイミングで、「私はこのGDに本気で取り組んでいるのですよ」とでも言いたげに、配られた資料に何かを書き込むフリをするあの名演技。
あれは内定欲しさに不本意ながらも披露する、必死のパフォーマンスなのです。
「私はちゃんと建設的に考えていますよ」とアピールし続ける、孤独な一人芝居。
この演技がなければ、我々は舞台に上がることすら許されないのでしょう。
擬態②「興味のない相槌」の反復練習
先輩のバイト先のしょうもない武勇伝や、同じ学科の仲間の週末の充実したお話。
ぶっちゃけ心がまったく揺さぶられない言葉のシャワーを浴びながら、我々は特定の言葉を反復練習します。
- へぇ〜、そうなんですね
- なるほど
- すごいですね!
この数種類のフレーズだけを絶妙な間と声のトーンで使い分け、会話を成立させるのです。
これは、「私はあなたのお話を聞いていますよ」という気配だけをその場に作り出す技術です。
魂の電源を完全にオフにしてただ機械的に言葉を発し、精神を守るための砦を築いているのです。
キャンバスを間違えた我々へ
ここまで少々絶望的なことばかりを書いてきました。
我々は呪われ、社会の真似事をして生きるしかない哀れな存在なのでしょうか。
半分はその通りだと思います。でも、もう半分はきっと違うのです。
考えてみてほしいのです。
あの診断結果は、我々に「適職」を教えたのではありませんでした。
あれは、我々が自分自身の「取扱説明書」をやっと手に入れた、ということなのです。
- (前略)
- ※この人物は定期的に孤独を与えないと壊れます
- ※仕様上、意味の感じられない命令にはフリーズする可能性があります
- ※興味のない作業を長時間続けると著しくパフォーマンスが低下します
- ※この人物は飲み会で一言も発さず地蔵になります
- (後略)
そんな面倒な注意書きがびっしりと書き込まれた、我々だけのトリセツ。
これまでの生きづらさは、我々が不良品だったからではないのです。
ただ、自分のトリセツを知らず、間違った使い方をしてきただけです。
我々は立派な油絵なんて描けませんが、それでいいのです。
我々のキャンバスは、そんな綺麗な場所にはありませんでした。
我々のキャンバスとは、これから向き合うことになる、あの真っ白で無機質なエントリーシートや、退屈なアルバイトのシフトそのものなのです。
本心ではどうでもいい自己PRの欄に、誰にも伝わらない自分だけの美学を込めてみたり。
スーパーのバイトで、誰も気にしない商品の陳列の角度を完璧に揃えてみたり。
それら一つ一つが、灰色の世界に誰にもバレないように自分だけの色を塗りつける我々自身の表現活動であり反抗です。
まだ何者でもない我々のそのムダなこだわりだけが、我々を救い出してくれるでしょう。
我々はキャンバスを間違えた哀れな芸術家などではありません。
与えられた窮屈な枠の中に、自分だけが意味を知るインクで誰にも見えない落書きを描き続ける、誇り高き社会不適合者なのです。






