イケメンを前にした平凡なオスの涙ぐましい擬態戦略について

イケメンの無価値化を試みる肥満(4度)の男性 ナントカのムダ使い

序章:観測地点・カフェの片隅、あるいはSNSのコメント欄

観測は、ごくありふれた日常空間から始まります。例えば、休日のカフェの、窓際のテーブル。そこで、若い女性たちが、スマートフォンを囲みながら、甲高い声を上げています。

「俳優の〇〇、新しいドラマ、見た?」「見た!ほんと、かっこいいよねー!」。彼女たちの会話は、砂糖菓子のように甘く、そして、何の疑いもない純粋な賞賛に満ちてい ます。

しかし、その数メートル隣の席。一人の若い男性が、その会話が聞こえているのかいないのか、眉間に深いしわを寄せ、スマートフォンの画面を、まるで憎い仇でも見るかのような、険しい表情で睨みつけています。

あるいは、SNSという現代の広大なサバンナ。ある「イケメン」と称される男性の写真が投稿された際、そのコメント欄には結構な頻度で、ある特定の種類の鳴き声が記録されます。

「え?これが?」
「俺は全然いいと思わんけどな」
「なんか作り物みたいで逆にキモい」

これらの、群れの調和を乱すかのような逆張りのコメント。

我々はこの奇妙で、しかし驚くほど普遍的に観測される、この現象の背景にある彼らの生存を賭けた切実な物語を解き明かしていかなければなりません。

第1章:遭遇・捕食者と、被食者という生態系

この現象の根源を理解するためには、まず、ホモ・サピエンスという種族の、繁殖市場における、冷徹なまでの階級構造を認識する必要があります。

生態系における階級構造

捕食者たる、アルファ個体(通称:イケメン)

彼は、生まれながらにして圧倒的な「遺伝的有利性」を保有する個体です。

健康的な肌ツヤ、左右対称性の高い顔面の構造、そして、群れのメス(女性)の庇護欲を掻き立てる、憂いを帯びた瞳。

これらはすべて、彼が「自分は、極めて生存率の高い、優れた遺伝子の持ち主である」という、極めて強力なシグナルを、常に周囲に発信し続けていることを意味します。

彼の存在そのものが、繁殖戦略における優位性の証明なのです。

被食者たる、ベータ個体(通称:平凡な男)

一方で、今回我々が注目する彼は、アルファ個体ほど強力なシグナルを発することができません。

彼の遺伝子は決して劣っているわけではありませんが、アルファ個体のそれと比較された場合、繁殖市場におけるその魅力は、相対的に低いと判断されがちです。

アルファ個体と真正面からその「見た目」という土俵で戦っては勝算は限りなくゼロに近い。それが、彼の置かれたあまりにも厳しく、そして冷徹な現実なのです。

第2章:ベータ個体の生存戦略:「無価値化」という、知的擬態

さて、天敵であるアルファ個体を前にして、逃げることも戦うことも許されない絶望的なこの状況。ベータ個体は、いかにして自らの遺伝子を次世代に繋ぐチャンスを掴み取ればいいのでしょうか。

ここで彼は、生物の進化の過程で数多くの弱者が編み出してきた、驚くべき生存戦略の一つを発動させます。

それが、「無価値化」という名の、知的擬態なのです。

スカンクが悪臭を放ち、フグが体を膨らませるように。

彼は「俺の方が強いぞ!」とは威嚇しません。それはあまりにも分が悪すぎるのです。

彼が取る戦略は、「あの美味そうに見える獲物(アルファ個体)には、実は猛毒があるのだ」と、群れのメスたちに、必死で警告を発することなのです。

その警告(我々はこれを「無価値化の呪文」と呼びます)には、いくつかのバリエーションが観測されています。

呪文① ミクロな欠陥の指摘

「あいつの顔、よく見ると目の位置が左右で微妙にズレてないか?」

「鼻の形、なんか人工的じゃない?」

彼は、まるで精密機械を検査する技術者のようにアルファ個体のミクロな欠点を指摘します。これは、「一見、最高級の獲物に見えるかもしれないが、見過ごせない欠陥が隠されている。ゆえに、この獲物の価値はあなたたちが思っているほど高くはない」と、その市場価値を相対的に引き下げようとする巧妙な情報操作です。

呪文② 内面のネガティブ・キャンペーン

「ああいう顔の奴って絶対性格悪いよ。間違いなく複数のメスを同時に追いかけるタイプだ」

彼は、まだ詳細に観測していない内面(性格)について、極めてネガティブな予測を断定的に展開します。これは、「この獲物は、見た目は良いが食べると確実に腹を壊す(不幸になる)ぞ。選ぶべきではない」という、群れのメスたちの安全を思う(という建前の)、親切な警告なのです。

呪文③ 高次元からの自己アピール

「みんなが『良い、良い』って言うからって、思考停止でそれに流されるのはどうなの?俺はもっとその奥にある本質を見ているから騙されないけどね」

最後の、そして最も高度な呪文がこれです。

彼はここで、自らが群れの他のオスたちとは一線を画す、「高い知性」と「鋭い審美眼」を持つ特別な個体であると、高らかにアピールします。これにより、メスたちに「目先の利益(見た目の良さ)に飛びつくのではなく、長期的な安定性(自分の知性)を持つ私を選ぶ方が、より賢明な繁殖戦略ですよ」と、極めて間接的な、しかし切実な求愛行動を行っているのです。

終章:誰にも届かない、孤独な雄叫び

このベータ個体による、生存を賭けた涙ぐましいほどの擬態戦略。
しかし、その努力が実を結ぶことは残念ながらほとんどありません

なぜなら、群れのメスたちはその本能の最も深い部分で、アルファ個体が発する「良質な遺伝子のシグナル」の、抗いがたいほどの強力さを知ってしまっているからです。

彼女たちは、ベータ個体の賢しげな警告の声を、遠くの茂みで響く少しだけ変わった、奇妙な動物の鳴き声程度にしか認識していないのです。

「まあ、彼は何か難しいことを言っているみたいだけど。それはそれとして、やっぱりイケメン君かっこいいよね」

これが、この生態系における冷徹で、そして最終的な結論です。

しかし興味深いことに、ベータ個体はこの無駄な戦略をやめようとはしません。なぜなら、彼のこの「無価値化」という行為は、もはやメスたちに何かを伝えるためのものではなくなっているからです。

アルファ個体というあまりにも理不尽で圧倒的な存在を前にして、かろうじて自分自身の精神の平衡を保つため。傷つきそうな自尊心を必死で守るため。ただそのためだけに行われる儀式と化しているのです。

彼は、誰に届くでもない広大な荒野に向かって今日も一人、その声にならない雄叫びをあげているのです。

「あの獲物は、別に言うほど美味そうじゃなくないか?」と。

その声は、驚くほど寂しげに物悲しく響き渡ります。

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